アイドルグループ「SPEED」のメンバーとしてデビューした
参議院議員の今井絵理子さん。長男の礼夢(らいむ)さんに聴覚障がい
があることを公表し、国会史上初めて参院本会議で手話を交えた質疑を
行ったことでも知られています。現在はインクルーシブ教育など
障がいのある子どもたちの支援にも取り組む今井さんに
バリアフリーなどについての思いを聞きました。
◆政治家になったきっかけはなんですか
21歳で出産し、生後3日に「聞こえる」「見える」を調べる「新生児スクリーニング」を受けました。
15分ぐらいで終わるはずが、30分を過ぎても終わらない。そして1時間が過ぎ、
医師から「聞こえないかもしれない」と言われたんです。
最初に思ったのは「神様は残酷だな」ということ。
音楽をやっている人に耳の聞こえない子どもが生まれる。子どもと音楽をする夢が崩れ落ちたんです。
「ママ」という声も、一生聞くことがないのかと、その日は泣きました。同じ境遇の母親たちと
話したところ、母親は自分を責める傾向があるんですね。「ごめんなさい」と子どもに謝り続けるんです。
ただ、私は眠る我が子を見て、「泣いてばかりいられない」「目に見える景色が素晴らしいものになるように」と思いました。
まずは「障がいを受け入れる」ことを考えました。
隣で私が泣いていたら子どもは悲しいだろうなと、どんなときも笑っていようと思ったんです。
息子が3歳のころ、テレビで障がいについて公表しました。とても勇気がいることで、
賛否もありました。でも、障がいはひとつの個性や特性だと思うんです。「不便だけど不幸ではない」の
ですから、子どもと一緒に出演しました。それから、10年ほど息子とボランティアもしました。ライブでは車いすや
聞こえない人への配慮も行いました。ステージの両サイドに、歌詞を流すモニターを配置したんです。また、
SPEEDのツアーでも特別支援学校や児童養護施設、福祉施設を訪れるなど、歌で力になれるよう心がけ
ていました。そうしているうち、「政治家にならないか」と声をかけられたんです。
◆どんなことに一番力を入れていますか
障がいがあっても暮らしやすく、明るく楽しむことを諦めない世の中をつくりたいと活動しています。
参院では障がいのある議員が誕生したこともあり、まずは参院のバリアフリーに取り組みました。
ひとつは演壇のスロープ化で、衛士が手伝わなければならないところ、自らの力で登ることが
できるようになりました。
もうひとつは「情報保障」です。「知る権利」のひとつで、衆院の中継には字幕があるのですが、参院には
なかったんですね。それを今年から手話通訳を導入し、手話通訳専用のブースも設けたんです。
まだ4日間ですが、本会議で常設していけたらと考えています。
議会は民主主義の根幹です。多くの人が「聞ける」ようなバリアフリーを図りたいですね。参院では
専門性ある分野が多く、専門性を生かした声をくみ上げることが多いのです。たとえば聾学校で
授業参観した際、「教科書が使いづらい」という声を聞きました。特別支援学校の教科書は
26年改訂されておらず、昭和感にあふれていたんです。そこで、文部科学省に「時代に合ったものを」
と要望しました。障がいに関係なく、小さいころから一緒に遊べる環境も大事です。息子を1歳で
保育園に入れたとき、遠くから名前を呼んでも聞こえないため「呼ぶときは肩をゆっくり叩いてね」
「ゆっくり大きく話してね」と伝えました。そうすると、子どもたちは学びながら育ちます。
日本人はシャイで、悪気はないのですが、声かけをしにくいことが多い。なので、こういった
インクルーシブを進めることで、へだたりがなくなっていくと思います。
◆楽しむことを諦めず、たくさん外に出ることが大事ですね
現在17歳の息子はプロレスラーです。所属しているのは耳の聞こえる人の団体。
コミュニケーションは主に筆談ですが、試合のときとマイクパフォーマンスは手話通訳です。
バリアフリープロレスが進めば、聞こえない人にも楽しめるのではないでしょうか。
情報提供も重要です。「大変ですね」と言われることが多かったのですが、子育てで大事なのは楽しむことです。
自立に向けて一緒に楽しもうとすると、楽しさが2倍になります。
だから、子どもとよく外に出るようにしました。親に向けて言いたいことは
「たくさんの世界を見るため出かけてほしい」です。
UNIVERSAL SPOTのように目で見て分かる情報は大事です。
この冊子を見ながら親子で出かけてほしいですね。
いまい・えりこ
1983年、沖縄県生まれ。96年に「SPEED」のメンバー
としてデビューし、2000年の解散後はソロ活動。
08年には04年に出産した長男の礼夢さんの聴覚障がいを公表。
16年には参院選全国比例区に自由民主党公認で立候補し初当選。
内閣府大臣政務官などを務める。